末端についての話

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私は仕事柄、相続関係説明図(家系図みたいなやつです)を見る機会が多いのですが、この図の目的は、今現在生きてる人(相続人)を特定することです。私も含め、生きている人は系統の末端です。

この図はまた、末端である私たちを形成してきた歴史そのものでもあります。今に生きていない人たちは声を発しませんが、その存在は確かであり、意味や物語があったでしょう。

末端は、物事の結果であり、その点だけに注目してもあまり得るものはありません。末端までの流れ、全体を見て末端が意味を持つのだと思います。
これから咲く桜の花(南ではもう咲いてますか?)も、花だけ取ってみても趣がないのと同じです。

世の中の情報や人々の話題は、ほとんどがこの「末端」に集中してる気がします。つまり、「結果」に対する興味です。でも、結果だけ追いかけることは面白いことでしょうか?私は面白くないと思います。結果が分かってると思い込み行動に移さないと、大事なものを見落とす気がするからです。

旅先の風景を自分の目で確かめる。そのために自分の足で移動することに意味があるのではないかと思っています。
どんな世界にも先人かいて、結果的に私たちは彼らの道をトレースしているに過ぎないとしても。


末端である私自身は、もちろん「つまらない存在」です。願わくば、家族や友人を線で繋ぐことができるような意味のある「点」になりたい。そう思っています。