穂は実ったか

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今日で震災から6年が経ちました。

私はこの6年で4回引っ越し、最終的に生まれ育った故郷に戻ってきました。故郷に戻った大きな要因は、やはり震災の経験だと思います。

長男は震災の翌月に生まれ、今年で6歳になろうとしています。震災を挟んで、私自身の生活様式が劇的に変わったということではありませんが、気持ちの面では、全く違った毎日を送る結果となっています。

メディアでは「震災を忘れない」というメッセージが目立ちますが、一方で「震災は忘れなければならない」、「震災を忘れたい」という意見もあると思います。
忘れようとしても忘れられないというのが私自身の実感です。多くの人が一つのの出来事に対し、それぞれの立場において様々な体験をしたと思います。それを人生において実りあるものにつなげなければならないと、私なりに考えています。
語られる「絆」が、人を不幸にするか、幸福にするのか。自らに問い掛け、自分の頭で考えて判断を下さなくてはなりません。

私のこどもたち、孫たちが暮らすことになる未来世界が、今の時代より良くなるか悪くなるかはわかりません。
彼らには幸福になるために自ら考え、行動することを厭わない人になって欲しいです。
しかし、それは同時に、今を生きる私(私たち)に対して求めなければならない願いなのだと思います。

生きているからには、実りの秋があり、その後は厳しい冬かやってきます。厳しい冬を乗り越えられれば春が来ますが、春が来ればまた冬に備えるだけです。。
ただ繰り返しかもしれませんが、繰り返しを経て、最後まで人生を奏でなければ、そこには意味も価値も存在しないと思います。


長い旅路における一歩一歩に、小さな発見と幸せを見つけて行くような人生を送りたい、強くそう思います。