差、またはズレについて

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先日、自転車通勤中にタイヤと平行な微妙な高さの段差に気がつかず、曲がるときにタイヤがスリップしておもいっきし転倒しました。
怒りのやり場がなく、「なんだよ!こんにゃろー!!」と一人段差にキレてみたものの、そこには虚しさしかありません。


実は転ぶ直前まで、表題の「差、またはズレ」についてボーっと考えていました。
「差」もしくは「ズレ」を利用して、いかに満足や幸福を得るか、についてです。


経済活動にドップリハマッている日本、「価値」=「価格」と考えさせられるような社会構造ですので、高価なものを得ることが幸福・満足を得るための条件になっているようです。
ただ、3人の子を持つ父親である私には高価なものを購入するお小遣なんぞありません。

じゃあどうするべきか。いろいろ考えて行き着いたのは、「人の欲しがらないモノ・コトに価値を見出だすこと」です。もう根底から逃げの姿勢。争いごと、好きじゃないの。

そんで好んでやってるのが、このブログでも何度も出てくる「モノを作ること」です。

自分で作れるモノのクオリティーなんてたかがしれてますが、とにかく自分で作ることは、かなり楽しいです。自己満足もハンパないです。
ただ、一人で何かを作ってはニヤニヤしている様子は、家族をはじめ、周りからの理解は得にくいです。

「手芸」について書いたときも考えましたが、世の中の常識(先入観)から、やりたいことをやらない人も多いのだと思います。また、「人がやりたがらないことに興味が無い」という人もいると思います。それはそれで一向に構いません。無理してメインストリートから外れる必要は無いと思います。
ただ、自分だけが知っている好きな小路を歩く楽しさを知ることは、人生の充実には重要な要素だと思っています。

そういう意味では、こどもは天才です。
庭の石を集めてコレクションしたり、画用紙にひたすら○を書きつづけたり。動物と人間の間、絶妙なバランスで存在していますね。


犯罪行為となれば話は別ですが、人生の充実のためにやりたいことはやってみる精神が大事ではないでしょうか。


知らない世界にいかに踏み込むか。
あなたの決断次第です。




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