記憶の中の風景

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ある本のエピローグに、著者の小さい頃の風景描写がありました。それに喚起され、私も自分の小さい頃を思い出しました。

今も生まれ育った土地に暮らしていますが、風景は少しずつですが変わっています。奥州街道の小さな宿場町だった私の集落には、茅葺き屋根の家屋がいくつか残っていました。しかし、それも10年以上前の話。今はもう一つもありません。我が家も4年程前は、茅葺き屋根にトタンを被せた古い家でしたが、建て替えてしまいました。
古い家の記憶ははっきり残っています。ただ、一度家を離れ、自分の家族と戻ってきた今となっては、遠い過去の記憶でしかありません。

遊んではいけないと言われていた、川のほとり、工事の資材置場は絶好の秘密基地で、宝物と呼んでいたガラクタが増水で流されたことを思い出し、ちょっと淋しい気分になりました。

故郷は離れた土地で懐かしく想うものかと思っていましたが、故郷に住んでいても懐かしく想う気持ちは同じだと感じています。

いつまでも変わらないと疑わない田舎の風景。でも、時間の経過という道を歩んだ自分自身は、過去の自分とは明らかに違った存在になっているし、風景も少しずつ変わっています。同じ場所で過ごしていると思うのは、頼り無い私の記憶による錯覚なのだと考えたほうが正しい認識なのかもしれません。



今日の自分と昨日の自分は違う存在である。
それを前向きに捉えて、変化のない毎日を少しでも新鮮に感じ、楽しみを見つけながら生活しようと思いました。